慶應フォトニクス・リサーチ・インスティテュート

プラスチック光ファイバー「エラーフリーPOF」が
生成AI社会のゲーム・チェンジャーとなる日

慶應フォトニクス・リサーチ・インスティテュート
所長 小池 康博(慶應義塾大学 教授)

KPRI(慶應フォトニクス・リサーチ・インスティテュート)では、情報通信媒体であるGI型POF(高速屈折率分布型プラスチック光ファイバー)、また、テレビやスマホ画面で応用される超高精細ディスプレイのためのフォトニクスポリマー技術の開発を行い、数々の基本特許を取得してきました。2021年にはじめて発表した「エラーフリーPOF」は、生成AIが台頭する社会においてカギを握る存在とも言えます。所長を務める小池先生にお話を伺いました。

世界初「エラーフリープラスチック光ファイバー(POF)」
〜補正回路なしで高速通信を実現〜

Q まず始めに、小池先生の研究グループで発明した世界初の「エラーフリーPOF」について教えてくだい。

小池:「エラーフリーPOF」とは、「エラーフリー」伝送の定義である1兆分の1(10-12)以下の確率(ビット・エラー・レート)でエラーが発生しないプラスチック光ファイバー(POF)を言います。

現在、データセンターなどで多く使われている電線やガラス光ファイバーは、その10-12よりも数桁大きい確率でエラーが不安定に発生します。そのため、そのエラーを安定に10-12にするために、FEC (Forward Error Correction)といった補正回路が必要となります。しかし、この補正回路による発熱や通信遅延、コストの増大が大きな問題になっています。エラーフリーPOFを使えば、FECなどの補正回路が不要となり、これらの問題を一気に改善することができます。つまり、エラーフリーPOF伝送システムは、省電力・リアルタイム・低コストで次世代情報産業を支えるコアテクノロジーとして期待されています。

逆転の発想から生まれた、エラーフリーPOF

Q エラーフリーPOFの原理、研究内容を教えてください。

小池:プラスチック光ファイバー(POF)は、ガラス光ファイバーに比べて柔軟・安価で高速性を持つという特徴があるものの、不均一構造を持つため光散乱が生じます。光散乱は伝送損失の要因となるため、今までは、これをいかに取り除くかが課題となっていました。

今回のエラーフリーPOFは、全く逆の発想から生まれました。最近のKPRIでの研究により、GI型POFコア内の屈折率分布を維持しながら、POFの欠点だとされていたミクロな不均一構造に着目し、POF中の光散乱に起因したモード結合を積極的に導入することで、従来のガラス光ファイバーでは達成することができない極めて安定な高速信号伝送が可能となることが初めて明らかになりました。

こうして生まれたのが、エラーフリーPOFです。

データセンターの諸問題を解消、
さらに生成AIの普及と
エラーフリーPOFの
思いがけないめぐり逢い

Q 今後、どのような分野からエラーフリーPOFの社会実装を進めていけばよいと考えていますか。

小池:データセンター内で使用する短距離伝送路が、エラーフリーPOFの特長を最も活かせる用途の一つと考えています。
ご存じの通り、ChatGPTをはじめとする生成AIが目覚ましい勢いで私たちの実生活で普及していますよね。この潮流が、エラーフリーPOFを世に送り出す大きなドライビングフォースになると考えています。

生成AIの普及は、膨大な計算量を必要とするため、データセンターに今までと桁違いの負荷を要求します。そこでデータトラフィックの拡大に対応するために、データセンターではPAM4(Four-level Pulse Amplitude Modulation)と呼ばれる多値伝送方式の導入が進められています。
これを簡単に説明しますと、従来方式では2つの信号レベル(0、1)を用いてデータを伝送しますが、PAM4では4つの信号レベル(00、01、10、11)を用いるため、2倍の速度でのデータ伝送が可能となります。一方で、信号レベルの多値化に伴って信号レベル差が減少するため、PAM4伝送は従来方式よりも雑音の影響を受けやすくなりました。今までの通信では許容できていたガラス製光ファイバーのノイズが、PAM4への移行によって無視できなくなってしまったのです。

従来の2値伝送方式(左)とPAM4方式(右)の模式図

   このノイズを軽減するために、FECなどの補正回路を使用していますが、データ量の増大に伴い、補正回路による処理遅延、発熱の問題は深刻で、新たに建設するデータセンターは寒冷地に設置することなども検討されているほどです。

データセンターの短距離伝送路で使われている膨大な光ファイバーを、ノイズがほとんど発生しないエラーフリーPOFに置き換えることで、発熱・処理遅延の問題を一気に解消できます。PAM4どころかPAM8といった更なる多値化も検討されている中、情報通信媒体(素材)の転換が必要不可欠になると私たちは考えます。

Q 30年以上に渡ってプラスチック光ファイバー研究の最前線にいる先生から見て、昨今の情報技術の発達をどのように感じていますか。

小池:プラスチック光ファイバーの研究を続けてきた総仕上げの成果として、私たちは2021年にエラーフリーPOFを発表しました。このタイミングで生成AIが普及してきたことに、やや大げさかもしれませんが、歴史的な運命を感じています。
エラーフリーPOFの最大の特徴である1兆分の1以下というエラー発生率は、今までの社会であれば「大学の研究成果としては画期的だが、実社会ではオーバースペックで使い道がない」という評価で終わっていたかもしれません。実際、私たちが世界に先駆けて開発し、基本特許を取得しているGI型POFは、心臓血管外科で有名な榊原記念病院、帝京大医学部付属病院などの、病院内サーバーのケーブルとして導入されていますが、その頃はまだオーバースペックの感が否めませんでした。ところが、今回は生成AIというアプリケーションが、まるで私たちの研究成果を求めるように近づいてきた・・・そんな印象を持っています。

日本の光ファイバー産業にとって、反転攻勢の契機に

Q ここ、新川崎から生まれた世界初・日本発の技術であるエラーフリーPOFは、
日本の産業界にどのようなインパクトを与えるでしょうか。

小池:さまざまな産業分野に貢献しうる技術ですが、情報処理の肝であるデータセンター内の伝送路の現状から考察してみましょう。
データセンターでは、サーバーや通信機器をつなぐために、膨大な量の伝送路が必要です。データセンター内の伝送路の95%以上は0.5〜20mという短距離(Short Reach)伝送路で、主にマルチモード光ファイバーが使用されているのですが、日本では、長距離幹線系に適しているシングルモードガラス光ファイバーの開発に特化してきたため、残念ながら国内メーカーのシェアはほぼありません。
エラーフリーPOFは、マルチモード光ファイバーです。これを日本のメーカーが製造し、普及を進めることで、データセンター内のシェアを奪還する大きなチャンスになり得ると期待しています。

Q エラーフリーPOFがあれば、国内で生産されているシングルモードガラス光ファイバーは不要となるのでしょうか。

小池:そんなことはありません。シングルモードガラス光ファイバーは長距離幹線系に適しています。一方、エラーフリーPOFは短距離で真価を発揮するものなので、役割が違います。
人間の体で例えると、心臓に近い動脈・静脈は、限りなく高速のガラス光ファイバー、そして微細な反応が重要な毛細血管はエラーフリーPOF、私はそんなイメージを持っています。

総務省が主導する革新的情報通信技術(Beyond 5G(6G))基金事業に参画、量産レベルまで技術が確立

研究室では数日間連続のエラー解析を行なっている

Q 2024年4月現在、エラーフリーPOFによる通信システム研究は、どのように進められていますか。
また民間企業との技術提携について、どのような展望を描いているのでしょうか。

小池:私たちの研究は、NICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)で公募された令和4年度Beyond 5G研究開発促進事業委託研究に採択されました。2024年度(令和6年度)からは革新的情報通信技術(Beyond 5G(6G))基金事業の委託研究に移行し、研究を加速していく予定です。

この基金は、Beyond 5G(6G)の実現及び日本の国際競争力の強化等に向けて、日本が強みを有する技術分野を中心として、社会実装・海外展開を目指した研究開発に対し支援するものです。さまざまな民間企業や研究施設が、要素技術の確立・事業化や、国際標準への反映を具体的に進めています。

エラーフリーPOFは、慶應義塾大学と日東電工株式会社の共同研究開発のもと、この2年間ですでに量産できる段階まで技術が確立してきました。社会実装へ向けた具体的な展開に入ろうとしています。

光ファイバー・ディスプレイ用光学材料の
両輪で社会貢献するKPRI

Q 小池先生の研究拠点であるKPRI(慶應フォトニクス・リサーチ・インスティテュート)について教えてください。

小池:KPRIの生い立ちからお話しますと、2010年に内閣府のFIRST(Funding Program for World- Leading Innovative R&D on Science and Technology)という30人の科学者を選ぶプロジェクトがありまして、フォトニクスポリマー分野では私が選ばれました。KPRIはその研究開発拠点として設立され、現在に至るまで私が所長を務めています。
設立当初から、学術の成果を社会に還元するという位置付けですので、産業との結びつきも重視しており、民間企業の方がKPRIに常駐して、共同研究を行うこともあります。

これまでに、フォトニクスポリマーと呼ばれるプラスチック光技術を研究し、すでにさまざまな基本特許が成立しています。今までお話したエラーフリーPOFをはじめとする光ファイバーの研究、そして高精細ディスプレイのためのフォトニクスポリマー材料の研究の2つを両輪として、それぞれの知見を相互に生かし研究開発を進めることで、新しいテーマが次々に生まれています。

Q 研究のもう一つの柱である、高精細ディスプレイに関する研究成果を教えてください。

小池:20年ほど前までは、ディスプレイを斜めから見ると色あせて見えることがありました。これは、ディスプレイの偏光板保護シートの「複屈折」によるものでした。私は、複屈折の存在しないゼロ複屈折ポリマーの基本特許を1995年に取得しました。現在の虹むらのない液晶テレビ(ディスプレイ)の多くには、このゼロ複屈折ポリマーフィルムが使われています。
また、2009年には、逆転の発想で、複屈折を極めて大きくした超複屈折ポリマーフィルムも発明しました。安価ですが複屈折が大きいという問題のあったPETフィルムを大きく延伸することにより、実質虹むらが消失したのです。現在、この超複屈折ポリマーフィルムも液晶テレビなどディスプレイに広く採用されています。

さらに、近年では、よりリアルカラーディスプレイを実現できるランダム偏光フィルム(Random Depolarization Film, RDF)を提案しています。従来の液晶ディスプレイや有機ELディスプレイは偏光 を利用した原理に基づいていたために、色むらや偏光サングラスを通してみると画面が見えなくなるブラックアウト問題が生じていました。RDFは、これらの問題を解決し「偏光」を「自然光」に変換する究極のディスプレイフィルムであると期待しています。

RDFを通すと色変化なく、ブラックアウト問題を解消
(※2枚の偏光版の透過軸を垂直に配置した状態を直交ニコル、
平行に配置した状態を平行ニコルという)

Q プラスチック光ファイバーについて、これまでの社会実装例をもう少し教えてください。

小池:2017年、プラスチック光ファイバーの共同研究開発拠点として、KPRI内に日東電工株式会社との共同研究センターを設置しました。2023年にUSB-Type-Cのコネクタに対応したアクティブ・オプティカル・ケーブル(AOC)の製品化に成功し、バーチャルリアリティー(VR)ヘッドセット用途などで実用化されています。プラスチック光ファイバーは軽くて柔軟性があるので、激しい動きを伴うVRでも扱いやすいんです。

通信業界だけではなく、医療分野での実用化も進めています。GI型POFは凸レンズとしての作用を持つので、映像の伝送もできます。これを応用して、2023年の4月に、慶應義塾大学医学部の中村雅也 教授、エア・ウォーター株式会社との共同研究で、注射針レベルの極細ディスポーザブル内視鏡の開発に成功しました(2023年4月25日、NHKニュースにて紹介)。ごく細いので、ひざ関節の内部などを低侵襲で手術前後に直接観察することができ、整形外科領域で大変期待されています。今後、外来や訪問医療でも検査・治療が可能となっていくのではないでしょうか。

極細硬性内視鏡による膝関節内検査イメージ

研究以外のエピソード

創作したピアノ曲をレコーディング

幼少の頃からピアノに親しみ、ピアノ作曲を趣味としています。愛犬の走る様子やウクライナに捧げる曲などテーマはさまざまです。先日、そのうち9曲をスタジオにてレコーディングしました。ちゃんとした譜面を書いていないので、私の指と耳だけで記憶していたものを初めて形に残すことができ、ホッとした瞬間でしたね。曲が生まれるときというのは、研究で発明があった時期と重なります。指と脳、どのような関係にあるのか不思議ですね。

プロフィール

小池 康博(教授)
Yasuhiro Koike, Distinguished Professor

KPRI所長
1982年 慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)
1989年〜1990年 米国ベル研究所研究員
1997年〜2020年 慶應義塾大学理工学部教授
2010年〜2020年 慶應義塾評議員
2010年〜 慶應フォトニクス・リサーチ・インスティテュート所長
2020年〜 慶應義塾大学 教授
2000年〜2005年 科学技術振興機構ERATO総括責任者
2005年〜2011年 科学技術振興機構ERATO-SORST研究統括
2010年〜2014年 内閣府最先端研究開発支援(FIRST)プログラム中心研究者
2022年〜2024年 総務省 情報通信研究機構(NICT)Beyond 5G研究開発促進事業代表研究責任者
2024年〜 総務省 情報通信研究機構(NICT)革新的情報通信技術(Beyond 5G(6G))基金事業代表研究責任者

受賞歴:2001年藤原賞、2006年紫綬褒章、2009年文部科学省「科学技術への顕著な貢献2009ナイスステップな研究者」、2013年向井賞、
2015年SID Recognition Award,2019年高分子学会高分子科学功績賞他

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